今回紹介する『名言』まとめは ”トーマス・エジソン” です。
歴史上もっとも偉大な発明家と言っても過言ではない存在です。
彼の発明があったからこそ、現代文明が進化し続けているのではないでしょうか。
そんな発明家 ”トーマス・エジソン” はどのような『名言』を残したのでしょうか。
まとめてみたので、是非ともご覧ください。
まずは彼のプロフィールを紹介していきます。
有名人・署名人の『名言』まとめ【トーマス・エジソン】
出身地:アメリカ オハイオ州 ミラン
生年月日:1847年2月11日
死亡年月日:1931年10月18日(享年84歳)
西暦(年齢)
1847年(1歳)アメリカ オハイオ州 ミランで生まれる
1862年(16歳)電子技師に。
1869年(21歳)特許第一号の電気式投票記録機を発明。
1869年(22歳)株式相場表示機を発明し、4万ドルの大金を手に入れる。
1871年(24歳)16歳のメアリー・スティルウェルと結婚。
1876年(28歳)ニュージャージー州メンロパークに研究所を建設。
1877年(30歳)電話機を改良し、蓄音機を発明。特許申請をする。
1878年(31歳)白熱電灯の研究を始め、エジソン照明会社を作る。
1879年(32歳)白熱電灯を作り、報道機関の前で大デモストレーションを行う。
1882年(35歳)ニューヨークのパール街に発電機を設置し中央発電所を建設。街に電灯を灯す。
1884年(37歳)妻のメアリー、29歳で病死。
1886年(39歳)20歳のマイナ・ミラーと再婚。
1887年(40歳)円筒式蓄音機を改良し、90以上の特許を申請。
1888年(41歳)エジソン・ゼネラル・エレクトリック社を設立。
1891年(44歳)のぞき眼鏡式映写機「キネトスコープ」を発明。
1910年(63歳)改良アルカリ蓄電池の電気自動車を実用化。
1928年(80歳)アメリカ合衆国で勲章を与えられる。
1931年(84歳)ウエストオレンジの自宅で永眠する。

恥ずかしながら、私は『電球の人』としか思っていませんでした。
数々の功績を残しており、さすが「発明王」と呼ばれるだけはありますね。
ちなみに、日本の発明王と言ったら『ドクター中松』ですよね。
あの有名なフライングシューズ(スーパーピョンピョン)には憧れました。
心に残る『名言』
失敗した訳ではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ。
私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ。
それは失敗じゃなくて、その方法ではうまくいかないことが分かったんだから成功なんだよ。
天才とは1%のひらめき99%の努力である

この言葉は「努力すれば道は開ける」といった意味で広まってますが、実際は「1%のひらめきが無ければ99%の努力は無駄になる」といった現実的な意味が込められているってお存じでしたか。
最初のひらめきが良くなければ、いくら努力をしてもダメだ。ただ努力だけという人は、エネルギーを無駄にしているにすぎない。
困るということは、次の新しい世界を発見する扉である。
成功できる人っていうのは、「思い通りにいかない事が起きるのは当たり前」という前提を持って挑戦している。
人生に失敗した人の多くは、諦めたときに自分がどれほど成功に近づいていたか気付かなかった人たちだ。
最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は混乱のうちになされる。
発明とは、それが人類にとって本当に必要なものなのかを判断する能力である。
首から下で稼げるのは1日数ドルだが、首から上を働かせれば無限の富を生み出せる。
私たちの最大の弱点は諦めることにある。成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。
まとめ
今回は発明王こと ”トーマス・エジソン” の『名言』をまとめていきました。
何か成功を納める人は諦めることをしないということが、身に染みて分かりましたね。

自分に激甘な私はダイエットをするぞ!と決めた晩にはもう挫折して唐揚げとビールで1人反省会ですよ。情けない。
このように人の為という志を持ち努力する偉人達によって、今の生活があるということを忘れてはいけなせんね。
何か私たちも小さくてもいいのでイノベーションを起こす存在になれたら素敵ですね。
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